じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.6 〜五ヶ月の収容生活〜 Section.22015.08.19 15:26時々収容所に、日本兵の略奪行為を受けた現地人が米軍に告訴にやってきた。日本兵の名前を告げて、豚や鶏の家畜を強奪されたとか、家族が暴行されたとか、その度に現地人の言う姓名の者は招集がかかり、該当者が見つかると直ちにマニラの戦争犯罪人収容所送りになった。その多くが憲兵あがりの将校が目...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.6 〜五ヶ月の収容生活〜 Section.12015.08.15 12:58 翌日のこと、50人程の米兵の一団が山に登ってきた。初めて見る米兵の顔、青い目をして我々のそばに、にこにこしながら近づいてきて、「ユートモダチ」と言って握手を求めてきた。そして米兵の将校と花田少佐が握手を交わした。通訳の終戦に至るいきさつと日本の無条件降伏を知り、いっぺんに気の抜...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.82015.08.14 17:10 そして、2日後ようやくみんなに追いついた。皆喜んで、また一緒に山中を歩いた。やがて8月を迎えた。別れた部隊の者はどうしているだろうかと案じながら、またどこかで合流できるだろうと思いながらの十数日が過ぎていった。8月の半ばを過ぎたある日、突然米軍のマークを付けたヘリコプターが飛ん...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.72015.08.13 15:51 急に雑木林が切れて前が明るくなり、そこにはバナナの木が群生していた。あちこちにたわわに実ったバナナが枝を垂れていた。まさに天の助けと、どっかりと腰を下ろして、しばらくは辺りを眺めていた。すると、どこからか人の話し声が聞こえてきた。敵のゲリラかと身構えていると、背の低い頭らしい...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.62015.08.09 00:51 山手には日本軍の地上部隊が構えていることを聞いていたので、部隊の司令部に行って、事情を報告してしばらく行動を共にさせてもらう事をお願いして、機関銃隊に配属された。これからが運命の7ヶ月間の山中生活の始まりとなった。夜明けと共に、予想していた通り、敵の激しい艦砲射撃が始まった。上...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.52015.08.07 16:38 毎日セブ島の海軍基地から、特攻機が一機、二機と別れの翼を振りながらレイテ島の方角へ飛び立っていくのを見送りながら、日本軍の勝利を祈っていた。1週間程の戦闘の結果、日本軍の連合艦隊は壊滅状態となり、レイテ島は米軍の占領地となってしまった。我々は米軍の空襲で、飛行機を爆破されてから...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.42015.08.06 15:41 セブ島には海軍の戦闘機ゼロ戦の基地があった。そこから約3キロの海峡を隔てた対岸がマクタン島で、偵察飛行隊の基地があり、船で渡った。全島椰子林に囲まれていた。この飛行隊は朝鮮から移動した航空隊で、偵察機が5機と隊員が150名程の飛行中隊だった。隊長は、長田少佐という色...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.32015.08.05 13:13 飛行場に降り立ってあたりを見ながら、3年前の開戦当時の日米軍の激しい戦闘を想像しながら、一面椰子林に囲まれた南国の風景に見入っていた。飛行場から市街地に通じる道路の街路樹は、すべて椰子の木だった。飛行場から軍用トラックに乗車して、マニラの南に位置する「リパ」という飛行場に移動し...
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.5 〜仙台陸軍飛行学校入校〜 Section.22015.08.04 18:15 こうした一瞬の油断も許されない真剣勝負の毎日だった。気象学や航法学は、自学自習を要求された。入校してから3ヶ月を過ぎた頃には、どうにか単独で離着飛行が出来るまでになった。しかし、訓練中に操縦を誤って、失速墜落して殉職した者も3名程いた。単独飛行が出来るようになってからは、実践に...