じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.4 〜師範学校入学〜 Section.2

 外出は日曜日だけとなり、外出日になると食堂に寄って、うどんや団子を腹一杯食べるのが唯一の楽しみだった。

2年生の新学期が始まって、母からも時折、家族の元気や様子や、近所のことなどを知らせた手紙が来ていたので、安心して寮生活を送っていた。

ところが5月の中頃だった。珍しく父からの手紙を受け取った。読んでみると「父一人の収入では、家族8人を養っていくのは大変だ。お前の学費を送るのに苦労している。学校をやめて家の加勢をしてもらいたい」という内容だった。当時寮費は、14円だった。

手紙を読んで、いっぺんに目の前がかすんで、しばらく茫然としていた。自分ではすぐに判断することもできず、考えた末に次の日曜日、私の身元保証人をお願いしている元富高小学校校長のO先生に、相談してみることにした。

先生は当時、県視学として学校の近くに住んでおられ、時折外出日には訪ねて、庭の掃除をしたり、お話を聞いたりしていた。

先生は、父の手紙を読まれて「お父さんの苦労がよく分かる。しかし、君はどうしても学校の先生になりたいんだろう。せっかく希望を抱いて入学したからには、ここで止めては惜しい。私がなんとかするから、お父さんに、しばらく辛抱してもらうようにお願いしなさい」と言われ、そのことを父に伝えた。

 そして、O先生の温情に報いるためには、どうしても来年3月の県の奨学金支給制度の試験に合格しなければと、夜みんなが就床したあと、特別自習室に行って夜半まで受験勉強をすることにした。自習室には、毎晩数名の上級生も見えており、分からないことは親切に教えてもらった。母からも激励の便りが来ていた。


 7月のある晩のこと、不思議な夢を見た。白装束に身を包んだ母と、数人の人たちが川岸で舟を待っている姿で、やがて舟がやってくると、数人の人たちは母を残して去って行った。

「ハッ」と目が覚め、不思議な気持ちになり、もしや母の身に何かあったのではと不安に思いながら、夜が明けるのを待って、寮監室から家の近所の呼び出し電話をかけた。

事情を尋ねてみたところ、母は5月の中頃から大腸炎を患って、ずっと臥せているとのことで、初めて母の病気を知った。

今まで時折くる便りには、元気でいるからということで安心していたのに、母は私に心配をかけさせまいとして、病気のことを隠していたのだ。

そう思うとすぐにでも飛んで帰って看病してやりたいと思った。早く夏休みになるのを、一日千秋の思いで毎日を過ごしていた。

やがて夏休みになると、飛ぶような気持ちで家に帰った。

病床に臥せっている母は、見るもやせ細っていて、あの元気な頃の面影は全く見られず、やっと会話ができる容態だった。


▪️次回の予告

じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.4

〜師範学校入学〜 Section.3(母の死)

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