先生も、4月から月に数回、他の先生の宿直を替わって夜学の指導をしていただくことになった。
外の先生方からも、私を見かけると「頑張ってね」と激励の言葉をいただく度に、何としても合格して見せるぞと自分に言い聞かせていた。それも過去数年間、毎年受験生がいたが合格していないということもあった。
1年下の妹のクラスの女の子からも「合格を祈っています。頑張ってください」というラブレターをもらったこともあった。級友からも激励を受けながら一学期もあっという間に過ぎてしまった。夏休み中もあまり遊ばずに勉強に励んだ。
やがて二学期を迎え、母も今まで以上に気合を入れて勉強をすすめたが、いつまでたってもまだやり残しがあるような毎日だった。
やがて二学期も過ぎて最後の三学期を迎えた。受験まで2ヶ月を残すことになり、不安な気持ちが強くなってきた。
いよいよ受験日の前日の放課後、職員室に呼ばれて、校長先生をはじめ、先生達みんなから「落ち着いて頑張ってきなさい」と励まされて、5年生の時の受け持ちだったN本先生が引率されるということを聞かされた。それは、N本先生が師範学校時代の書道の恩師のN山先生が退職後、師範学校の近くに奥様と2人暮らしで便利がよいので、そこにお世話になることになったということだった。
夕方の汽車で宮崎へ出発した。
N山先生宅は、師範学校に近い西丸山町にあった。着いた日、夕食を一緒にいただきながら先生ご夫婦から、受験の心構えや激励の言葉をいただいた。
その晩は夕食を済ますと早めに就寝して、明日の受験に備えたが、すぐには寝つけなかった。
翌朝は、朝食を済ますと早めに準備をして「頑張ってきます」とあいさつをし、N本先生に連れられて師範学校の受験場へと向かった。
試験場の入口には、すでに多くの受験生や付き添いの人たちが見えていた。受付で話をきくと、受験生は240名で、入学定員の6倍の競争率と言うことだった。
一瞬これは合格はとても難しいと思った。あとは力を尽くす他はないと覚悟を決めて試験場に入った。
N本先生の話では、例年定員が40名で、半数は付属学校から、残りを地方の小学校からの合格者になっていると聞いていた。周りのどの顔もみな自信がありそうな表情をしていた。
第一日目は、学科試験で、午前中は国語、算数、地理、歴史の科目で、午後は理科、最後は作文になっていた。作文の課題は、師範学校を志望した理由を内容としたものだった。
私は、母の願いや家庭の事情、卒業までの受け持ちの先生からの感化を受けての志望理由を書いた。
こうして第一日目が終わったが自信はなかった。
第二日目は、体力テストや器械体操の実技試験が行われたが、これは自信があった。
こうして2日間の試験が終わって、今までの緊張がとれてほっとした気持ちになった。
▪️次回の予告
じいちゃんが書いた自叙伝 Chaper.3
〜宮崎師範学校合格〜 (師範学校合格、そして日中戦争突入)
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